米国財団法人 野口医科学研究所

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留学体験記
 米国精神科専門医への道
   ―精神科レジデンシープログラムを修了して―

                                         メイヨークリニック 精神科
                                           篠崎 元

以前、私がアメリカでの精神科医としてのトレーニングを目指して準備していた頃、すでに、「精神科」という専門医向け学術誌誌において「レジデンシー・イン・アメリカ」という連載で、エール大学において精神科レジデントとして活躍されていた久賀谷亮先生が、現在進行形の精神科トレーニングの様子を御報告されていた。当時の私にとって、アメリカでの精神科レジデントとしての4年間に渡るトレーニングは、目標ではあっても現実にはなっていなかった不確かなものであり、将来に不安を感じていたというのが本当のところである。そんな時、実際に日本の医師が、精神科レジデントとして働いている、という事実は、とても大きな励みとなっていた。毎月毎月、医局にある「精神科」のページをめくっては、先生の連載を楽しみにしていたが、レジデンシーの様子を思い浮かべてみては、自分に果たしてできるものだろうか、と、逆に不安を感じたりもしたものであった。実際、レジデント採用試験のインタビューのために渡米した際には、コネチカット州はニューヘイブンに、久賀谷先生をお訪ねする機会をいただいた。その際には、お忙しい中、時間を割いていただき、貴重な経験からアドバイスも頂くことができた。その後、運よく実際に精神科レジデントとなってからも、当時のアドバイスが大きな助けとなったことも多い。私自身も、自らの拙い経験をお伝えすることで、もし、今後、アメリカでの精神科レジデンシー、そして米国精神科専門医を目指される方の、何らかのお役に立てればと考え、御報告させていただく。


レジデンシーの始まりは、毎年、全米どこのプログラムも6月の中ごろになる。7月からの各ローテーションの始まりの前に、オリエンテーションが行われるためである。私が勤めるMayo Clinicの場合、最初の1週間は全てオリエンテーションのために割かれていた。Mayoのビル群の中にある大きなホールを用いた会場には、新年度のレジデント、フェローを含め、全体で実に400人ほどが一同に集められたが、皆どこか緊張した面持ちで、会場にもどこか高揚した雰囲気が満ちていたように記憶している。


全体用のオリエンテーションは、2日間にも渡って行われた。まずはMayo Clinicの歴史についての話から始まったことには驚いたが、これからここで働くのだ、という意欲を高める効果は十分あったように思う。その後も何度かに分けて歴史についての時間があったが、それだけ自分の職場に対する愛着と誇りを持って働いているのだというメッセージは、好感を持てるものであった。


続いては、これまたアメリカらしいと感じたが、医療過誤保険の説明、自分の医療保険への加入、職員証の発行、予防接種の確認、BLSとACLSの更新手続き(未取得者には講習が課される、もちろん無料である)、病院ネットワークへのログイン手続き、一般的な病棟業務の説明、オンラインでの実地練習、等などが、時間割どおりに次々と進められていった。その後は各科の個別のオリエンテーションとなり、形式的な事務仕事の連絡から始まり、上の学年のレジデント仲間達による、リラックスした、しかし最も実用的なアドバイスの時間、と続いた。新しい環境に適応する前に、容易にストレスレベルが急増しそうな状況ではあるが、スタッフもレジデントも、歓迎してくれている様子を感じさせる雰囲気が常にあり、我々新人を、とても気持ちよく迎えてくれたことが、とても印象的であった。


こうした膨大なペーパーワークをこなして仕事を始める準備をするのと同時に、海外からアメリカに入国した私のような者は、合間の時間でSocial Security Number(SSN)取得の手続きなどに駆け回ることになった。アメリカで暮らす上で、SSNが無いと、とにかく不便なことこの上ない。申請してから発行されるまで3-4週間はかかるとのことで、それまで諸手続きに何かと手こずることになった。例えば、SSNが無いと、携帯電話を買えないと言われる。携帯電話がなくて電話番号がないと、クレジットカードの申請が通らない。クレジットカードがないと、いつまでも日本の口座から引き落とされるカードしか使えない、など等。他にも例えばコンピューターで自習する業務内容のトレーニングセッションがあったが、そのログインにもSSNを要求されたり、病院に提出する登録書類などにもSSNを記入しなくてはならなかったり。覚悟はしていたが、やはり外国で生活を立ち上げて、業務に慣れていくことは簡単ではなかったと言える。

もっとも、新しくレジデントになり、新しい環境になじむ苦労をするのは外国人だけではないようで、先にも述べたように、一週間のオリエンテーションのなかでも、アメリカ人も含め、皆、緊張している様子がよく感じられた。そもそも英語の壁がある日本人である私が、緊張と不安に悩まされるのは当然なのだが、よく見ていると、同期の精神科レジデント達もかなり不安を抱えている様子であった。精神科では、私の同期8人の内、アメリカのMedical Schoolを卒業していない者は3人いたのだが、実は、1人はアメリカ人でオーソトラリアのMedical School卒、もう1人はカナダ人でアイルランドのMedical School卒だったので、実質的に私だけが、英語に不安を抱えながらのスタートという状況だった。しかし、アメリカ人にとっても中西部にあるミネソタに来ることは大きな距離を感じるものらしく、西海岸出身の同僚や、南部出身の同僚は、最初の一週間ですでにホームシックにかかっているようであった。思わず、「おいおい、ホームシックになるのは地球の裏側から来ているこちらがなってからにしてくれ」と言いそうになったが、写真で見ていたときの印象では厳しそうで、付き合いにくかったら困るな、とやや心配をしていたので、逆に、ちょっとかわいらしい面もあるな、と親しみを感じることもできた。アメリカ人でもこれだけ心配なのだから、外国から来た自分が不安でも当然、心配しないでやっていこう、と妙な安心感を覚えたことを記憶している。なにより、念願の場所で働ける、ということに、本当に喜びを感じていることが実感でき、それが、不安よりも期待を勝らせていたのかもしれない。

そんなこんな4年前の思い出を、レジデンシーを卒業した今、徒然と振り返ってみると、何か、夢を見ていたような気さえする。夢はいつしか現実となり、非日常は日常となったが、4年間の精神科レジデンシーを生き残り(事実、同級生のうち3人は途中で転向した)、最後の4年目はリサーチチーフレジデントとして研究に注力することもできた。精神科のチェアマンにも認めていただき、研究の成果をグランドラウンドで発表したプレゼンテーションは非常に高い評価を受け、卒業時にはベストグランドラウンドとベストアカデミックライティングの主要な賞を独占していただく事ができた。卒業時に受けた米国精神科専門医一次試験も無事通過し、後は来年の口頭試問の二次試験が待っている。卒業後の現在はPsychosomatic Medicine Fellowshipに進み、更なる研鑽に励んでいるところである。ごく最近、Academy of Psychosomatic Medicineから、全米より選出されて非常に名誉あるWilliam Webb Fellowship Award受賞の嬉しい知らせも届いた。そもそも、2002年の春、今から6年以上前、沖縄海軍病院のインターンとして働いていた際に野口医学研究所のセミナーを受講し、留学生に応募した際の面接試験では、英語もしどろもどろで何とも実力不足、準備不足の状態の私であった。それでも、熱意だけは認めていただいたのか、野口の先生方のご厚情に預かり、何故かギリギリで合格とさせていただいて、こうして今の自分があることを思うと、何とも不思議な気持ちである。野口のご縁でトーマスジェファーソンで精神科の実習をさせていただき、その後、メイヨークリニックにマッチする流れができたのであり、先生方の暖かいご援助のありがたみをひしひしと感じるばかりである。帰国子女でもなく、英語が得意なわけでもなく、医学部も他大学既卒で入りなおした年齢の不利さもある私の、米国で精神科のトレーニングを受けたい、という希望には、反対する意見も多かった。何より、メイヨークリニックでレジデンシーをしたい、という私に、何を無謀な馬鹿なことを、という意見もあった。そんな私に、野口はチャンスを与えてくれた。そして、メイヨークリニックもチャンスを与えてくれた。チャンスを求め続けた自分の頑固さは誇りに思うし、こうして、25周年の記念に、野口に送り出された者として、恥ずかしくない成果とともに、胸を張って卒業のご報告をできることは、わずかながらの一つの恩返しができたのではないか、と思う次第である。