米国財団法人 野口医科学研究所

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TOP  財団設立25周年記念誌

寄稿
 野口医学研究所設立25周年によせて
                               野口医学研究所 評議員
                                 トーマスジェファーソン大学 腫瘍内科教授 佐藤 隆美

(1)はじめに
「野口医学研究所は私の人生そのものです」といえる人は、浅野嘉久野口医学研究所理事長くらいであろう。ただ、野口に出会い、人生が大きく変わったという人は数多くいる。18年前に、野口に関わるようになってから、 野口を支えることで学んだことが、また、野口を通じて出会った方々が、 私の医師としての人生の基盤を築いてきたことは事実であり、まずこの場をお借りして皆様にお礼を申し上げたい。また、野口の理念を実現するための資金確保に奔走していただいた、International Health Serviceをはじめとする野口医学研究所関連企業の職員の方々にも、心から「お疲れさまでした」と言わせていただきたい。医療ビジネスと、医学交流の有機的連携が、野口というユニークな社会運動を可能にした原動力であったという事は、 野口医学研究所25周年を迎えるにあたり、改めて認識されなくてはならない。


(2)数を誇る医学交流から、質を重視する医学交流へ

野口が新しくアメリカに開設する日本人向けのクリニックの準備のために、私がフィラデルフィアを初めて訪れたのは、1990年の12月であったと記憶している。多くの医療機器が、まだその包装を解かれずに置かれてあったのを記憶している。その後、日本人向けクリニックの立ち上げを、浅野理事長や、郡司幸雄氏、そして米国側の職員と一緒に行いながら、トーマスジェファーソン大学を中心とした新しいタイプの医学交流プログラムの立ち上げが始まった。このプログラムには、ただ単に「アメリカの医療、医学教育を見学する」研修を提供するのではなく、それにより野口が選んだ候補者たちに対し、実際にレジデントとしてアメリカの臨床研修を受ける機会を与えるという大きな野望があった 。 その結果として、初期の研修生の半分以上が、実際にアメリカで研修医となったことは、その当時日本人のレジデントが皆無あった事実を考えると、快挙であったと言える。このプログラムの実現に際して、当時トーマスジェファーソン大学の医学部長であったDr. Joseph S. Gonnellaからの大きな支援があったことは、特筆すべきであろう。彼の支援なしには、日本からやってきた、英語のあまり話せない日本人医師達が世界から集まってくる候補者達の中から選ばれていくことはなかったであろう。この時期にアメリカに渡った日本人医師達が、後に、アメリカで臨床研修を受けている日本人医師のグループである「野口アラムナイ」を形成していくことになった。また、彼らのアメリカでの経験を掲載した、「野口フェロー通信」が発行されることとなった。

このプログラムを継続していくにあたり、その裾野を広げ、Step-by-stepで候補者の質をあげていくことの必要性が認識され、training campとも言える「野口セミナー」が開催されるようになり、また、ハワイ大学での新しい研修プログラムが開始された。特に、ハワイ大学では、4週間の研修期間中に、実際の治療チームの一員として、患者を診察し、指導教官や、レジデントからの評価を受けるシステムが構築され、その評価が、後にそのプログラムの修了者がアメリカでのレジデント研修に応募する際の援護射撃として使われた。また、4週間の研修期間中に、あるいはその後に、ハワイ大学の正規のレジデントとなる医師が増え、まさに、このプログラムによる相乗効果を生み出すこととなった。また、その当時、日本人医師にとって最大の難関とされたClinical Skills Assessment (CSA)の模擬試験を、模擬患者を使って研修中に行うことも可能となった。このように、ハワイ大学のプログラムは、まさに日本人医師のとっての 「大リーガー養成コース」となった。このプログラムの成功にあたり、以下の二人の方のことを語らずにはいられない。一人は、当時、亀田総合病院に卒後研修指導教官として赴任されていたDr. Gerald H. Stein。彼には、プログラムの立ち上げに対し、ハワイ大学側の担当であるDr. Morganと、どのような交渉をしていけばよいか、細かい助言をいただいた。また、野口が描いているプログラムを現実のものとするためのステップに対して、数々の貴重な助言をいただいた。もう一人は、Dr. Doric A. Little。英語でのcommunication skillsを 彼女に教えていただき、また、個人的な相談にものっていただいた日本人研修生は、数百人に上る。彼女はいまでも、自分が世話をしたハワイ在住の研修生達を自宅に招待して、 定期的に食事会を開いている。 Dr. Steinがハワイ大学プログラムの生みの親であれば、彼女は、まさにそのプログラムの育ての親とも言える。


その後、野口の医学交流の裾野をさらに広げる為に、医学生を対象としたプログラムが立ち上げられた。これにより、アメリカで研修医となる資格を獲得していない医学生にも、「海外、とくにアメリカでの臨床医療を体験する」機会が提供されるようになった。これらのプログラムの確立により、野口の医学交流プログラムは、まさにアメリカ臨床医学留学のための「登竜門」となっていった。


(3)次の25年の野口医学研究所の活動と医学交流

今回の25周年を一つの区切りとして、野口には、次の25年の活動目標と、その実行プランを策定していくことが求められている。私は、次の25年の活動目標を作成するにあたり、 「これまで、野口が行ってきた医学交流が、どのような成果を生んできたか」ということについての「Outcome research」を行うことが必須であると考える。確かに、野口を通じて渡米し、臨床研修を無事修了された後、日米で活躍されている日本人医師の数は増えてきている。今後、そのような医師をさらに増やしていくためには、どのようにして、候補者を育て、選んでいけばよいのかという検討が行われる必要がある。また、留学生の選考後、その留学生を前向きにフォローしていき、その結果をセミナーの内容や面接過程に反映していく機構が構築される必要がある。


さらに、野口の医学交流を、日本の医療、医学教育、さらに世界の医療の改善に貢献するようなものに進化させていくためには、これまでに、野口が送ってきた医師、医学生のネットワークを強化して行く必要がある。このネットワークを通じた後進の教育、患者の診断、治療、教育が、野口の活動を、社会運動としてさらに発展させていく上で、特に重要であろう。また、これら理念の実現にあたり、野口の活動を真に理解する篤志家、病院、企業からのサポート、また、野口ネットワークを通じた教育、診療を可能とするハードウェアの構築、整備が課題となっていくであろう。Retrospective and Prospective Outcome Researchを基軸とした、新しいプログラムの開発、強化、そして、その医学交流のproductを有機的にとりいれた(positive feedback)システムの開発、普遍化が、野口の今後25年の成功の鍵を握っているといえる。

(2008年 9月)