野口医学研究所25周年おめでとうございます。四半世紀もの間、多数の医療人をアメリカに輩出してきた野口医学研究所の偉業は計り知れません。その歴史の中で私は比較的新しい歯科部門でお世話になりました。どのようにアメリカ歯科臨床に進めばいいのか右往左往している私に、ひとつの大きな道をひらいてくださいました。今回、その記念すべきときに寄稿のお話を頂き大変光栄に思います。
ここで私の自己紹介とともにアメリカへ歯科臨床にたどり着いた経緯を簡単にお話させていただきます。1995年東北大学歯学部を卒業後、同大大学院第一口腔外科学講座に進みました。昼は外来臨床、夜は実験・研究という日々を過ごしながら論文を仕上げた3年目に、私は研究発表の場をAADRにし、人生で初めてアメリカのミネアポリスにやって来ました。そのとき感じたアメリカの大きさは、今まで海外とは無縁の生活をしていた私に大きな刺激を与え、いつかはアメリカで臨床をやってみたいという気持ちが芽生え始めたのを覚えています。その後、少しずつ英語の勉強を始め、どのようにすればアメリカの臨床に参加できるのかを探り始めました。大学院を終わろうとしていた頃、何とか留学の糸口を見つけ出そうとしていた私は書店でアメリカ留学の本を数冊買いあさりすべてに目を通してみましたが、歯科臨床留学に関する詳しい記述は見当たらずさらに混迷を深めました。ところがその本の中で目にとまったのが「日本人向けの米国留学を支援するプログラム」というところでした。それらの財団にひとつひとつ電話をかけていきましたが、歯科留学のサポートをしているところはありませんでした。最後に電話をかけたところが野口医学研究所で、これが私と野口医学研究所の始まりでした。ちょうどその頃、野口医学研究所では歯科留学のサポートを始めたばかりで、早速私は自分の履歴書を送り、程なく面接に呼ばれました。大学院を終了し、口腔外科の病棟医員として日々苦しんでいた私にペンシルベニア大学のエクスターンシップの話が来たのはそれからちょうど半年ほどたったときのことでした。この野口医学研究所のサポートによって、私のアメリカ口腔外科への挑戦が始まったのです。
アメリカには50余りの歯学部があり、その約半数弱で外国の歯学部を卒業した歯科医を途中から採用するシステムがあります。その中の9つの施設ではプログラムとして外国人歯科医の編入を認めています。ペンシルベニア大学ではPASS(Program of Advanced Standing Student)と呼ばれていますが、4月の終わりから10週間のサマーコースが設定されていて、9月からの通常カリキュラムのための準備を行います。9月からは歯学部の3年生に編入し、通常の歯学部生と同じカリキュラムをこなし翌々年の5月に卒業します。つまり、約2年でアメリカのデンタルライセンス資格が取得できる、外国人歯科医にはとても魅力的なプログラムです。それゆえ、毎年数百人もの応募があり、その中から歯学部生の欠員数に合わせて30人前後が合格できるという狭き門です。私は2000年4月よりこのPASSプログラムのサマーコースにエクスターンドクターとして参加しました。アメリカで生活したのはこれがはじめてで、日常いろんな場面で言葉の壁にぶちあたっていた私ですが、時間が経つに連れて「何とかやれそうだ」と言う自信に変わってきました。そこで一大決心をし、ペンシルベニア大学PASS プログラム合格を目指してTOEFLとNational Dental Board (NDB) Part 1 の勉強を始めました。約4ヶ月の集中的な勉強のおかげでどちらの試験にも無事に合格し、面接を受けました。PASSプログラムは1982年から始まっており、すでに20年以上の歴史がありますが、私が入るまで日本人はわずかに2人しか採用されていませんでした。2001年、幸いにも3人目の日本人になることが出来ました。
ペンシルベニア大学歯学部に入った私は、言葉・システム・治療方針の違いから戸惑いの半年を過ごしましたが、日本での臨床経験がものをいい、かなり早い時期に卒業ポイントに到達することが出来ました。この大学では3年生・4年生の大半を臨床教育に充てております。ステューデントフィーという市価の1/3から1/2の治療費で学生が歯学部内で治療することが公然と行われています。その患者さんの支払った費用とほぼ平行して学生にポイントが加算されていく仕組みです。このポイントが卒業の履修項目のひとつになっているのです。もちろん学生達は授業料を払っておりますので、大学は学生と患者さんからのどちらからも収入が入ることになります。通常4年生になるとNDB Part 2を受験し、卒業間近にライセンス試験を受けます。このライセンス試験は地域・州に区切られていて、卒後臨床を行う地域・州の試験を受けます。そのいずれにおいても臨床試験が課せられています。実際に自分で患者さんを連れてきて試験を受けます。約束した患者さんが来なかった場合でも試験は不合格になります。よって受験者はあらゆる手を使って患者さんにきてもらうようにします。最も普通に行われるのはいくらかの謝礼を払う方法です。この歯学部の仕組みを知っている患者さんなどは試験が近くなってくると自分の虫歯を「この虫歯試験にどう?」などと売り込んできたりします。まったく日本では経験できないシステムがあるものです。アメリカの歯学部は4年ですが、通常4年のカレッジを卒業してから入ってくるために、概して日本の歯学部と比べると学生の平均年齢は高く、人間的にも成熟しているように見受けられます。また歯科医師として社会に出るという自覚が強いように感じました。
口腔外科を目指して渡米した私に待っていた次のハードルはレジデンシープログラムに通ることでした。専門医制が確立しているアメリカではレジデントを経験した歯科医に専門医が与えられます。レジデントの期間は専門によって異なりますが、口腔外科では最低4年となっています。現在、レジデントの採用にはマッチングシステムが導入され、口腔外科ではほとんどのプログラムがマッチングによる採用です。毎年4000人以上の新卒者の中から口腔外科のプログラムにマッチできるのは200人弱、厳しい競争です。
2003年、大方の下馬評を覆し何とかニュージャージーのプログラムにマッチしました。
プログラムに入ってからの4年はかなりきついものでした。一年目は月10回の当直を課せられ、同時に内科・家庭医学のローテーションをこなします。二年目・三年目は外科・麻酔科・他病院のローテーションを経て、四年目に本病院の手術室に到達します。また、いちど大学を卒業してしまうと、ビザの手続きが複雑になってきます。労働ビザの申請から永住権申請と、常に移民弁護士と連絡を取っていかなくてはなりません。その費用もかさんできます。口腔外科のレジデントには給料が出ますがその額は地域によって異なります。おおよそ年38万ドルから42万ドルのようです。私はその安い給料の中で、妻と子供1人を養ってニュージャージーに暮らしていましたので、この弁護士料は生活に大きくのしかかってきました。プログラム終了近くには、ビザサポートをしてくれる新たな雇用主を探さなくてはならず、外国人が極めて少ない口腔外科の世界ではなかなか大変なことで、頭を痛めました。
2007年、ニュージャージー州専門医を正式に取得し口腔外科医としてアメリカで臨床を始めました。現在はクリニカルベースの仕事についていますが、将来的にはホスピタルベースの口腔外科に進んでいくつもりです。私が考えるアメリカ挑戦に必要なものとは「自分・資金・ビザ」です。「自分」とは自分自身の能力のことで、試験に合格する能力、英語の能力、臨床能力、対人関係を作る能力のことです。日本ですでに歯科医になっておられる方々は身につけておられるものなのであえて私が説明するまでもないことですが、アメリカ挑戦はいつも孤独との戦いです。時に思いがけないことが身に降りかかってきたりするものです。自分を見失わない自分を常に持っていたいものです。資金およびビザに関しては渡米する人々全員がもつ共通する悩みです。特に滞在期間が長くなればなるほど自分の行く道が資金・ビザによって左右されます。私などは資金面で「見切り発車」をしたためにかなりの貧乏生活を余儀なくされました。私の住んでいたアパートは電気による暖房が備え付けられていましたが、冬の暖房費を最小限に抑えるために家の中では暖房をつけずにいつもジャケットを着て過ごしたのを覚えています。ゆえに、できるだけ前もった計画をお勧めします。ビザに関しては専門の弁護士に頼むのが一番いいのですが、自分でもある程度の予備知識を持っておくことをお勧めします。すべての弁護士がいつも協力的とは限らないということです。私は自分がアメリカで体験したこと・学んだことを日本にフィードバックしたいと常々思っております。どうぞいつでも連絡をしてきてください。
最後になりましたが、今私がアメリカで口腔外科の臨床に携わっていくことが出来るのは野口医学研究所のサポートのおかげです。野口医学研究所への感謝とますますの発展を願いここでペンを置かせていただきます。
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