米国財団法人 野口医科学研究所

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寄稿
 第2の青春としての米国留学生活の思い出
                     野口医学研究所 常務理事
                       東京医療センター 臨床研究(感覚器)センター センター長 加我 君孝

「もしアメリカがなくなるとすると世界から夢が消えてしまうことと同じです。」と私にチャイニーズアメリカンの老人が言ったのは、私がフィラデルフィアに医学教育研究留学を体験した20年以上前のことです。ジェファーソン医科大学のゴネラ教授が所長の医学教育研究所に半年間留学した頃のことで、この留学中に、ソビエトの空軍機によって、大韓航空の民間旅客機が撃ち落とされるという悲劇的な事件がありました。冷戦時代にあって、世界の国々の中で、アメリカがひときわ夢と希望にあふれるように見えました。医学教育研究は、カーター先生という哲学者のような先生が私を家庭教師のように指導してくれました。毎日、討論の時間があり、物を考え自分の判断や意見を述べなければなりませんでした。忘れられない問いに、「昔ヨーロッパ各国からアメリカに移民に来た人々は、ニューヨーク郊外のエリス島で知能テストを受けた。イタリア人が最も低く、英国人は最も高かった。これについてどう思うか。」がありました。これは知能テストの中に英国人でなければわからない問題があったからである、ということでした。試験問題が妥当か、検討が必要な例として説明されました。このような教育研修に、当時38歳でありましたが、私にとって新鮮な毎日でした。留学によって帝京大学で過ごしていた多忙な臨床医としての生活から解放され、時間的に自由な日々ではありましたが、それ以上に精神も自由となり、医学教育を通して、自己を見つめ、原点より考えることが出来るようになりました。まるで陸だけを歩いていたのが、鳥になって空を飛翔することが出来るようになったような気分でした。この時の心理は、北海道を離れて東京で自由な大学生活を送った頃に似ていました。


フィラデルフィアの半年の留学と、これに続くロスアンジェルスでのUCLA脳研究所での聴覚生理学の実験研究の1年余りの留学は、まるで第2の青春時代に例えることが出来ます。日野原重明先生は日中医学協会の顧問をされていますが、毎年中国からの若い医師80名を迎える式典で「私のアトランタのエモリー大学への留学は、まるで第2の青春時代のような体験でした。」と言われます。時間的にも精神的にも完全に自由になったことによるからに違いありません。留学中のもう一つの大きな出来事は、新たな出会いです。私の場合は、私を指導してくれたジェファーソン医科大学のゴネラ教授と、UCLAの女性の教授のジェニファ・ブックワルト先生とは、現在に至るまで親しくお付き合いさせて頂いている心から尊敬する先生です。私の人生にとってこのような出会いは、世界には私を支えてくれる立派な先生がいるのと同じです。

このような米国での素晴らしい体験から、他の若い世代にも留学を勧めたくなります。野口医学研究所の日本の医学生と若い医師を、米国に派遣して臨床研修を体験させるプログラムを私が応援するのは、個人的にはこのような背景があります。しかし、米国の何から何まで良いと言っているのではありません。米国の光と影の光の面だけなく、影の面も沢山見て来ました。影や暗い面を知って初めて光の部分もわかって来るのです。しばしば米国を礼賛する一方、日本を批判する米国一辺倒の人々がわが国の医学界にいますが、歴史も文化も社会制度も人種も異なるので、簡単に言い切ることは出来ません。もう一度、自分の原点に戻り、再出発するのに留学は良い機会です。毎日英語を話して暮すのも良い経験です。東京大学の薬理学の教授に江橋節郎先生がおられました。筋肉の収縮機構がカルシウムで調節されることを世界で初めて発見した科学の歴史に残る偉大な先生です。学生への授業で、「アメリカで暮すことや、学会でアメリカに行くことは、日本で英語を日々勉強しなければならないと反省するようなものだ。」と言っていましたが、その通りに思います。われわれにとって英語は一生の課題であると言わざるを得ません。

ところで、第3の青春はあり得るものでしょうか。もう一度、海外での生活をすることもそれに入るかもしれません。私の場合、医学部の臨床の教授で多忙極まりなく、ストレスだらけの生活から解放された今が第3の青春のような気が致します。久しぶりに会う知人や、長く通う銀座の博品館ビルの寿司清の職人からも、顔色が良く、大学の教授の時よりも元気に見えると言われることが多くなりました。恐らく医局の人事のストレスがなくなり、かつての米国留学生活時代のような自由を再獲得したからでしょう。現在は多くの時間を好きな臨床や研究と、英文と日本語のモノグラフや編者としての原稿の執筆活動にあてています。それと同時に、目黒区・世田谷区駒沢の自然に恵まれた環境で、素晴らしい人々との新たな出会いが沢山あり、かつ私の研究指導を求めて国内外から若い先生方が来るようになり、再びやりがいと生きがいのある生活を送ることが出来るようになったことも大きな理由ではないかと思っています。