物事を遂行するには最初にそれを考えた人、最初にそれを始めた人、最初にそれを達成した人、そしてそれを維持する人が必要です。
何時ぞや何かのエッセイに同じ事を書いたと記憶していますが、この野口医学研究所を最初に考えた人はペンシルバニア大学教授の浅倉稔生先生でした。
想い起こせばその浅倉先生との出会いは45年前に遡ります。
東京大学の医学部・栄養学教室は薄暗い地下室に在りました。有名な吉川春寿教授(故、後に医学部長)の学科で、確か米山良昌先生(故、後に金沢大学教授・日本生化学会終身会頭)が助教授(准教授)でした。
浅倉先生にはポルフィリン生合成&分離器代わりとしてしごかれ、米山先生からは毎日のように医者になった動機を始めご自身が医者として教育を受けた、患者の知り得ない、診断のヒエラルキーを語られるなど公私共に可愛がって頂いた記憶が残っています。もちろん、吉川先生には大学の研究室、飲み屋、そして先生の瀟洒な和造りのご自宅で医食同源の重要性を説かれたものでした。その中に初々しい大学院生だった女子栄養大学現学長の香川芳子先生が居られたのを覚えています。この出会いこそ、時が廻りかの時一旦断念し挫折した私の、今日女子栄養大学に於ける医学博士号修得再チャレンジの動機に繋がっています。
さて、25年の月日はあっという間に過ぎ去りましたが、その道程は決して緩やかなものではありませんでした。照る日、曇る日、雨降る日と言うと詩的に響きます。しかし現実は程遠く、雨嵐の連続でした。 どうにかこれからは「野口」に穏やかで晴れた日が訪れ続くことを祈ります。
また、そのために私の残る人生を捧げようと決心もしています。
最初に浅倉先生ありき、Mr.Kenney、尾島先生、Dr.Gonnella、日野原先生、黒川先生、蓮見先生、鶴田先生方との邂逅があり、色々な人に助けられて「野口」は成長してきました。
特にトーマスジェファーソン大学との親密な医学交流は全てDr.Gonnellaのお陰と言っても過言ではありません。
この25年の間に佐藤隆美先生、津田武先生、幡生寛人先生、そして青山剛和先生ら四人衆が「野口」の門を叩き、植田育也先生、藤谷茂樹先生、岸本暢将先生達がこれに続き、現在では佐藤先生、津田先生がリーダーに成長して「野口」を牽引しています。
またハワイ大学との提携の重要なミッションとしてDr.Izutsu、町両先生とも親交を育み、この度町先生に「野口」の後事を託すことになりました。
今後は町淳二新理事長を中心として多くの若き医療人に広く門戸を開き、グローバルな視点で捉えた「美しい日本の医療」の世界を実現して頂きたいと切望しています。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。
医療は実践であり、空論では成り立ちません。
人が人の命を守る、この素晴らしい世界が「野口」を通して広がり、更なる発展を遂げられるよう希望を込めて新理事会にこれを委ね、私はもう一度この来し方25年を振り返って見ようと考えています。
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