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留学体験記
 私のアメリカ臨床留学体験記
                            Beylor University Medical Center, Transplant Surgery Fellow
                              上野 豪久

このたびは、野口医学研究所の20周年おめでとうございます。野口医学研究所が今年20周年を迎えるに当たって、臨床留学体験記のエッセイの執筆も賜りありがとうございました。私の野口医学研究所との関わりははなはだ変則的ではありますが、近年ますます困難となったアメリカでの臨床研修を支援くださる財団として、今後の発展をお祈りしています。
並々なる経験あるご先生方の前でこのようなエッセイを載せるのは気が引けるのですが、お世話になった野口医学研究所からの依頼と言うことで、失礼させていただきます。

アメリカ留学までの経緯

学生時代、卒業後の進路としては小児外科を目指していました。5年の夏休みの学生研修でアイオワ大学付属病院に行ったときに、そこの教授から「君は小児外科に向いている」といわれたことがひとつの理由かもしれません。小児外科になるには、最初は一般外科の研修をすることが必修なので、阪大を卒業したあと、東京に戻って東大の外科系の研修医となりました。そのときの最初の研修が第二外科(現肝胆膵移植人工臓器外科)でした。そこでの研修は忙しくて強烈なものでしたが、とくに、まだ日本ではそれほど普及していなかった肝臓移植というものに強く惹かれました。今でこそ、アメリカではウイルス性肝炎や、アルコール性肝炎が大部分を占めていますが、当時、肝移植といえば先天性肝疾患患者の治療の一つでした。小児外科分野の治療のひとつとして肝臓移植があります。死ぬべき運命にある子どもが、完全に回復して大人になることができる臓器移植は、私としては是非とも学びたい分野でした。

野口医学研究所との関わり

学生時代にそれとはなしにUSMLEの試験を受けたものの、思い切ってアメリカで臨床留学をしようと言うまでは至りませんでした。当時の指導教官からも、「アメリカなんかに最初から行ったら戻ってこられなくなるぞ」と言われたりしたこともあって、普通に、大学病院での卒後研修に進みました。その後、野口医学研究所の研修などには出席していたのですが、実際に動くことなく何年かすぎていきました。臓器移植法が施行されてからしばらくたちますが、日本ではまだまだ臓器移植は一般的な医療とは言いがたく、私の専攻している肝移植も、脳死肝移植は数えるほどしか実施例が有りません。
そのような状況下では、卒後3年程度の経験の少ない医師が移植のトレーニングを積めるはずも無く、日本に残っていても、いつになったら手術が出来るかどうかわからない状況です。それに対して、アメリカの移植外科のプログラムでフェローをすると、2年間で肝移植の術者ができるようになるという話でした。
当時、日米医学教育財団の理事をされていた北先生が「ダラスのベイラーと言うところで、移植外科のフェローを募集しているから上野君どうだい」という話しをいただきました。ただ、その当時は、まだ研修医となったばっかりですし、ほかにも論文の出ている優秀な方々が応募されていたので、日本で5-7年の程度の経験をつんでから留学しようと思っていたのですが、たまたま機会が回ってきて、ベイラーで面接を受ける機会を得ました。「盲腸の手術ぐらいしか出来ないのですが」という私に、ベイラーのプログラムディレクターが「一から教えるから大丈夫だ。」と言って下さったので、3年半の初期研修を終えた後、渡米して移植の専門の勉強をすることになりました。

臨床留学とフェロー

現在フェローとしてダラスで働き始めてから1年半が経ちますが、さてアメリカの外科の場合、卒業後、日本の研修医に当たるレジデントが一般的には5年間あり、その後に専門医となるフェローが2-3年間することがコースです。レジデントは一般外科を学ぶので、専門医の研修をするならばその後のフェローからということになります。移植外科はその忙しさゆえにアメリカ人のなり手が少なく、外国人でも十分入る余地がありました。
上記にあげたように、アメリカで臨床研修をする場合、レジデントからやり直す場合と、専門医コースであるフェローからはいる場合と2通りがあります。レジデントはアメリカの医師免許が取得できたり、専門医の資格が取れるなどの利点もあり、アメリカに残りたい人はこちらの方がいいのですが、難点は外科の場合また5年間も研修医をしなければならないことです。
それに対して、フェローで留学する場合はボードを取れないので、残るのにはいろいろと問題がありますが、短期に専門を学ぶ人にとっては、こちらの方が早道です。
アメリカ人の場合でも、レジデントから直接来る人もいれば、肝臓外科などで長く働いた人も来るため、その背景は様々です。また、アメリカの場合は、医学部に入る前に職に就いていたことのある人もいるため、年齢的にもますます多様になります。

外科医は手術

当院では年間200例近い肝移植と、またほぼ同数の腎移植を行っていますがそれを2-3人のフェローで回しています、移植手術というものはその性質上定時手術というものが無く、ほとんどが緊急手術となります。また、手術時間も不規則で、夜中、早朝、休日と問わず手術が行われます。肝移植の手術は常に緊急なので、ドナーの手術の場合は突然「今から空港に集合。」ということで空港まで行って、遠い見知らぬ病院の手術室で肝臓を取り出し、ダラスまで持ち帰ってきます。帰ってきたら、今度は肝臓を患者さんに移植します。そして戻ってきたら、レシピエントの手術をするということになります。2年間で肝移植の術者になることが目標です。

病棟業務

フェローは、一応病棟業務を任されており、それ以外に外来患者も診察し当直をこなします。日々の日課は、朝6時からICU病棟の患者さんの診察をしてカルテを書き指示を出します。肝移植の患者さんの場合は、肝生検などはルーチンワークなので、そのような処置は回診前にやってしまいます。
週に二回は外来で患者さんを診ます。移植後の患者さんはプライマリーケアー医が診たがらないので、ちょっと熱が出たぐらいでも、専門家である移植外科まで患者さんは頼ってきます。ファミリードクターのような役目もしなければなりません。
病棟業務のうち、最初のうち慣れないものがディクテーションです。退院サマリーや手術記録も電話に吹き込むことになっています。これを後で、秘書がタイプしてくれます。放射線科の報告を聞いたりするのも、このディクテーションを聞くことになります。慣れれば便利なのですが、英語が話せないうちはとてもつらい思いをします。

当直の生活

当直も週に2回程度あります。夜中じゅう、病院に呼ばれるということになります。ただアメリカの病院の多くは指示が電話で出来ることもあって、看護師が日本の研修医と同じくらいの処置ができるので、その点では楽です。

フェローの生活

フェローの給料はレジデントと同じくだいたい年間4万ドルです。ただ、J-1VISAの場合2年間は税金を払わなくてもいいのと、ダラスの場合は東京よりは物価が安いため生活は苦しいですがそれなりにはやっていけます。ニューヨークのような都会に留学した場合は、かなり暮らしがきついと聞いています。
家にはなかなか帰れないので、家族には非常に負担がかかります。家族の覚悟と協力が必要なので、家族でよく話し合う必要があります。週末は全く有りませんが、年間3週間の休暇がもらえるので、私の場合も年に3週間くらいは、アメリカ中を旅行して回っています。


心に残る患者さんたち 

まだ、移植外科に来たばかりの頃、Tommy(仮名)という肝移植を受けた子供がCMV肺炎であっという間に亡くなってしまいました。こちらとしてもあまりにも早い病状の進み具合についていくことができませんでした。夕方になって、突然血圧が下がってしまい、家族に「昇圧剤を使ってぎりぎりもたしています。非常に厳しい状態です。」とムンテラをすると、結局家族はDNRの承諾とそれに付け加えて昇圧剤を中止してくれるように言ってきたそうです。日本の感覚だとDNRはさておき昇圧剤まで中止するということは見殺しにするような感じでどうしても許容できませんでした。
夕方、別の肝移植の手術の手洗いをしていたのですが、深夜ICUに戻ってきたときには残念ながら亡くなっていました。まだ若くて学校も仕事もなにも知らなくて、テレビドラマの「ER」が好きで、毎日、朝の回診の時にはERをずっと見ていた子だったのですが非常に残念です。
また別の患者さんの話ですが、ちょっと傷が痛いのだと言っていた患者さんが、病棟に戻ってきました。移植後の患者さんは3ヶ月たったら退院して、ファミリードクターのところへ行くことになっているのですが、少し悪くなると、すぐにコーディネーターのところに連絡があり、移植外科に戻ってきます。
翌朝、「少し血圧が低いね」と言っていたら、あれよあれよと言ううちにショックになってしまいました、ICUに移しても血圧が上がりません。すぐに、呼吸器と、昇圧剤が4種類ぶら下がるようになっていました。肝移植後でもほとんど日常生活は通常と変わりませんが、まれに、感染が非常に早く進むこともあります。
翌日になると、意識は戻りましたが、すでに、肝不全に陥り助かる見込みがほとんど無くなってしまいました。移植後の肝臓は、ショック状態には比較的弱いのです。家族が集められて、助かる見込みがないことを説明します。こちらでは、Poor Prognosisの場合には、“Withdraw”といって生命維持装置をはずす処置が行われます。
モルフィンの点滴が行われて、人工呼吸器の酸素濃度がRoom airとなり、昇圧剤が止められます。2時間後には、脈拍が下がってきたと看護婦さんから連絡があって、Pronounce(死亡宣告)するかどうかと聞かれます。
「自分でする。」というと数分たってから、「心電図がフラットになった。」と連絡を受けます。部屋には家族がすでに待っていて、軽く会釈をして入ると、「残念ですが。」と死亡宣告をします。あまりにも早い進行だったので、非常に残念です。未だに、死亡宣告の時にどのような言葉をかけたらいいのかわかりません。
奥さんは、「主人はあなたのことがとても好きだったのよ。」と言ってくれましたが、何と言っていいのかわかりません。彼女には、これから長い時間がずっと待っているのです。
日本にいたときは、受け持ち患者さんが亡くなると、お見送りといって、裏口から亡くなった患者さんを送り出したものでした。これは、大学病院でも市立病院でも同じです。こちらでは、患者さんが亡くなるとすぐにベッドはかたづけられてしまいます。お見送りすることもありません。


論文

ある日書き始めた論文をボスのところへ持って行きました。私のボスは、よほどフェローが論文を書くのがうれしいのか、とても喜んで「明日までに一行一行吟味するから。」と論文を持って行きます。
さて、翌日になったら、びっしり手直しが埋まって、論文が返ってきています。あれだけ忙しいボスなのに、これだけ手直しをするというのは、すごい速さです。こちらが何ヶ月もかかって書いたものと同じ分量ぐらいを書いてあります。
肝移植の教科書を書いている人から、これだけ手直しをしてもらえるというのもありがたいものです。
さて、ある時製薬会社主催の勉強会に出席しました。勉強会といっても4泊5日の長いもので、宿泊費から航空運賃まで、製薬会社持ちです。このスポンサーは藤沢製薬で、背景に藤沢のマークが光っていますが、出席者はアメリカ人ばかりです。若手の医師に勉強させて、休暇もくれてさりげなく宣伝をするということなのでしょうが、ほとんど薬の宣伝はありません。日本の会社でありながら、利益を享受しているのはアメリカの若手医師というところが歯がゆくもあります。(最も売り上げもアメリカが一番でしょうが。)
基礎科学といえば、アメリカに一日の長があるのですが、その萌芽は、小学校の理科実習の展示会にも見られます。ある時小学校の理科の学習発表会を見に行ったのですが、心が打たれたのは「植物が好む飲み物は何か?」です。これは、コーラと、ミルクと、オレンジジュースを鉢植えにやって、成長を観察したものですが、発想が実に自由で、しかも手法に関しては非常に科学的な方法を使っています。小学校の時からこういう訓練をしていて、また、学校の先生が許しているということが非常に感動しました。


医学教育について

フェローという立場上、レジデントや医学生を指導しなければなりません。アメリカの卒後研修システムは、ヒエラルキーがはっきりしているので、教える、教えられるという関係がうまく機能しています。もちろん人に指導するということは、自分の勉強の役にも立つため、このように上下関係がはっきりしているシステムは卒後教育上有用な制度だと思います。
アメリカで驚くことは、年下でも対等に目上の先生と議論し、間違っていると思ったら、はっきりと指摘することです。上の先生も「生意気なやつだ」と怒ることもなく、(内心は思っているかもしれませんが)きちんと話を聞いてくれます。ただ、研修医が教授に向かって「あんたいい時計をしているね、ちょっと見せてごらん。」なんていったりするのを聞くと、今でも驚きますが。
アメリカ人は言い訳をするのがとても上手です。全く理屈に合わないようなことも言い返したりしますが、言い訳をしないと、相手は非を認めたと思うようです。このあたりは、「男は黙って」という日本文化とは大きく違うので、慣れるまでは大変でした。素早くいいわけができなくて、ずいぶんと悔しい思いをしました。ただ裏を返すと、このことはプレゼンテーションに長けているということになります。こうやってアメリカ人は子供の時から練習しているのです。
アメリカでは、若手が手術をさせてもらうのは当然の権利で、日本のように「いつも鈎引き」というのは通用しません。堂々と手術をさせてくれと主張できます。鈎引きばかりさせていると研修医から文句を言われることになります。 
医学生やレジデントとつきあって感じるのは、近年のインターネット上の日本と英語圏での情報力の差はとても危惧しています。アメリカの医学生はある意味では教科書を使いません。レジデントに何か調べるように言っても、彼らは病棟の端末からインターネットで検索して、「いつ、どの雑誌にこれこれこういう総説が載っていた。」と、すぐ返ってきます。もちろん日本語での教科書や論文が検索できるようになっていないのがまず問題なのですが、日本の研修医で直ちにMedlineが引ける人がどれだけいるでしょうか?


パームについて

アメリカの医師が良く使っているものにパームというPDAがあります。私もアメリカに面接に来たときに出会ったのですが、これがなかなか便利なものです。 PDAの中でもpalmは医療用のフリーソフトが多い事もあり、アメリカの医療現場で広く使われています。Palmはもともとアメリカで誕生した機械であるからか、アメリカの医療現場ではPalmが日本以上に活躍しています。医師は経験豊富な先生から医学生まで何らかのPDAを持っています。 また、医師だけではなくてコーディネーターや栄養士の人たちも大抵使っています。研修医でPalmを持っていないと「君はPaper Ageだね」といわれ、ちょっと小ばかにされるくらいです。アメリカの研修医はいろいろな病院を回ることが多いのですが、さまざまな病院情報電話番号などをPalmに入れて、移動するときは赤外シンクで情報を送って終わりというような場面も見られます。とくに、ePocratesというFreeの治療薬ガイドブックを入れることができるので、これ無しには診療することができないと言っても過言ではありません。


終了後の進路

私の場合は医局に属していないフリーですが、一般的には医局に戻って働くということになると思います。まれに非常に優秀な方で、かつアメリカに残りたいという場合は、残って移植の専門医として働く人もいます。日本人でもそうやってアメリカで活躍をしている人がたくさんいます。日本に戻って、移植外科に従事することが無くても、移植外科でのふんだんな手術症例は一般外科においても必ず役に立つことと思います。


アメリカで臨床研修をするには

アメリカは日本の医師国家試験を認めていませんので、USMLE医師国家試験を別に受けなければなりません。そして、臨床実習をするECFMGのCertificateをとると、臨床医として働くことが出来ます。
まずアメリカの医師免許試験に合格する必要があります。アメリカで臨床をするには、少なくともアメリカの医師資格試験のうち、USMLE Step1(基礎科目)、Step2(臨床科目)、TOEFL(英語試験)、CSA(臨床技術試験)の4つの試験を取って臨床実習をするCertificateを取る必要があります。今後はCSAがStep2の一部になるなど毎年のように制度が変わります。野口研究所のセミナーでは、この変革に合わせて、随時、最新情報を紹介してくれると思いますし、ECFMGのホームページなどでも紹介してくれます。
それから、それぞれ、自分が行きたいと思うプログラムにCV(履歴書)を添えて応募して、面接を受け、お互いに条件があえば採用ということになります。通常、面接は1年以上前に行われるので、早めに試験をとって応募する必要があります。いずれにせよ、決まったやり方というのは無いので、早めに動いて数を打つということになります。もちろん臨床留学では実際に患者さんを見なければいけないので、日常会話ができる英語力は必要ですが、プログラムによってはあまり英語が話せなくてもやる気さえあれば受け入れるところもあります。


どういう人が向いているか
なにぶん外国で仕事をするので、くよくよしない人が向いているかとおもいます。アメリカの場合は何でもことが一通りではすまないので、何度も文句を言わなければいけません。また、アメリカ人は言い訳を言うのがうまいので最初は悔しい思いをしばらくするかとおもいますが、そういうことに耐えられることも重要です。最初のうちは英語がわからなくて非常に孤独な思いをしますので、それでもどんどん人の中に入っていくずうずうしさが必要です。また、24時間7日間ポケベルで呼ばれるので、10分でも時間があれば寝ることができる図太さも必要です。


今後のライフワーク

外科医として、小児の移植に携わって日本人がアメリカに行って移植を受ける必要のないようになることが希望です。また、大学時代から、発生・再生医学に興味があり、大学時代には発生生物学を学んでいました。どうしても、現在の“他人から臓器をもらう”というかたちの移植では、限界があります。日本に戻ってからは、また、大学院に戻ることがあるかもしれませんが、Xenotransplantなど、より、臓器の提供を必要としない、移植の発展に携われたらと思っています。


最後に

最近、日本でも医療問題が大きく取り扱われていますが、多くの誠実な医療関係者の方々はマスコミの報道に心を痛めていることかと思います。
先日、ドイツの著名な外科医の講演が当院で行われました。彼は、もちろん日本人がここで働いていることなど知りませんでした。たまたま、術式の紹介の時に日本の教授の手術を紹介して「彼は、世界で一番手術の上手な外科医だと思う。日本人は手先が器用だからできるので、私にはまねできない。」と、紹介をしていました。
それだけでなくても、日本人の論文は講演や学会などで、引用されていることを見かけます。
アメリカ人にとっては「何で医療の進んだ日本から研修に来るのだ?」ということを聞かれることも多々あります。このあたりは、東欧やインドから来ている同僚とは、待遇が違うのです。英語ができないのも、日本語で医学教育ができるからで、良識のあるスタッフの先生方はよく理解してくれています。
言葉の壁は予想を超えていましたが、その点をのぞけば、実際、医療現場としては日本とほとんど変わりませんでした。
ただ、いわゆる研究留学をしてきた人たちの話を聞くと、同じ留学といってもかなり生活は違います。アメリカに来てしばらくは、それは孤独でつらいものでした。オフィスに戻っても英語で同僚と世間話しをするのが疲れるので、トイレにこもっていたこともありました。臨床留学のつらさは経験した人でなければわからないといいますが、私もこちらに来てみて初めてわかりました。
それでも結局、一応まがりなりにもチーフフェローとして仕事ができるようになりました。臨床留学で一番得たものは、日本から国外に出ても仕事ができ、手術ができるようになったという自信と、様々な生き方があるという多様性を知ることができたことでしょうか。そして、相対的に日本の医療を見ることができるようになりました。また、留学に当たっては野口医学研究所をはじめ多くの方にお世話になりました。
臨床留学をすることには賛否両論があるかと思いますが、人生の一つの物語として、臨床留学があってもいいかと思います。なお、臨床留学情報に関しては、私のサイトに詳しく記してありますので、そちらもごらんになっていただけたらと思います。アメリカでの臨床研修に興味がある方がいらっしゃる場合は、私のHP(http://www.dallastsushin.com)まで来ていただければ、より具体的な方法を御紹介できるかと思います。