米国財団法人 野口医学研究所の創設20周年を深い感慨をもって迎え、かつ米国からGonnella夫妻を始め、多くの関係者の参加を得て有意義なセミナーを開催、さらに20周年記念誌を発行されることを、まず心からお祝い申し上げます。
人でいえば成人に達し、自立と責任が求められる年齢です。その間、数え切れない人々のお世話や社会のご支援を受けたことは言う迄もないことで、財団にとっても同じことが言えると思います。そして、それらのご支援に心からお礼申し上げます。
今一つ忘れられないのは、財団のルーツです。財団の成育にかかわって来ました一人として、財団のさらなる発展の糧になることを祈念し、財団誕生の経緯について記しておきたいと思っています。
思えば1982年の夏、シアトルでの国際癌学会出席の後、10年来の友、Dr.Gonnellaのお招きで、Thomas Jefferson大学での医学教育セミナーの機会を得た時に逆上ります。当時、フィラデルフィアには私が知っていた日本人学者が二人おられました。一人はかつてYale大学で知り合った農学の陶山教授、今一人は『文芸春秋』に「米国で医者の卵はこうして作られる」という論文を介して知りましたが、まだ面識のなかった浅倉教授でした。嬉しいことにお二人共、私の下手な英語の「Medical education in Japan - past, present and future」を聴きに来て下さいました。
セミナー終了後、浅倉さんから「一つ聞いて欲しいことがある。実は戦後数え切れぬ程の日本人医師が米国で臨床を学んで来たが、70年代に入り、その数が激減し一桁に落ち込んだ。これでは日米間の医学交流の糸が切れる。僕は長年、個人レベルで多数の留学生のお世話をして来たが、それには限界がある。それをシステム化するための組織を作ろうと思うが、どうだろう。賛成なら力を貸して欲しい。」ということでした。私自身、フルブライト財団のお世話になった事でもあり、彼の提案に即座に賛成しました。それをGonnellaさんにも話しますと大賛成で、互いに協力して医学交流を活発化しようという事に話が決まりました。浅倉さんが彼の大学時代の同級生、小玉教授や知人の桃井教授(故人)の賛同を得、計5人が財団設立発起人として、ペンシルバニア州へ申請した訳です。在日の3人は米国大使館に赴き、宣誓した事が昨日のように思い出されます。それが1983年以来、早くも20年が経過したということです。
設立認可後、紆余曲折を経て今日の晴れの20周年記念を迎えましたが、それらに関しては、当初より尽力された財団育ての親、浅野現理事長に譲りたいと思います。
財団のルーツに思いを致し、フルブライト精神に則り、財団の益々の日米医学交流への貢献を期待して止みません。 |