野口医学研究所の設立20周年おめでとうございます。思い起こせば、野口医学研究所とのお付き合いの始まりは平成6年のことでした。はや9年が経った事になります。当時私はある民間病院の創設に関わって7年が経った頃でした。規模は小さくとも患者本位の素晴らしい病院を創ろうと理想に燃えた医療関係者十名ほどが沢山の患者さん達の期待を込めた支援をうけながら取組みました。出資者の意味でのオーナーはいないという変った形態の病院で、病院憲章の制定から始まる医療に関する各種のハード、ソフトの検討に1年間程の準備期間をかけました。地域医療策定計画で病院設立が制限される期日間際に、滑り込みで設立認可を受けたのでした。振り返れば、今では悪法と評価される「総量規制」が間もなく為され、バブルが終わろうとする時期の開院でした。
関係者の燃える情熱で始まった病院でしたが、個々の患者に手厚く温かく、良いと思ってやる医療は、それなりのコストを伴い、医療面でも経営面でも効率が問題でした。間もなくバブル崩壊から経済環境の悪化の荒波に内部の問題が重なって、病院経営は危機に直面する事態に陥りました。
この危機に救いの手を差し伸べてくれたのが誰あろう野口医学研究所とアラムナイの先生方だったのです。救いの手と言うのは財務に関することではなく、医療態勢とスタッフの整備と医療者のモチベイション向上を含む改善策に関する協力面でのことです。浅野嘉久専務理事(当時)、澤田崇志理事(当時)、佐藤隆美先生・津田武先生など医学交流セミナーで帰国されたドクターとナースの方々が多忙な時間をさいて病院にまで出向いてくれました。院内を査察し、スタッフとのミーティング、険悪な関係になってきた経営陣とスタッフとのコミュニケーションの場の設定、さらにドクター招聘の外部機関との折衝、佐々木宏美参与(現)は人間ドックの営業活動に、などなど大変な尽力をいただきました。患者サービスのためにとドクターホットラインの導入も実施しました。
佐藤隆美先生の助力を公式に要請するために、病院事務長の小林一成氏と私の二人がフィラデルフィアのトーマスジェファーソン大学副学長 Joseph. S. Gonnella 先生を訪問に出立したのは、忘れもしない平成7年1月16日の夕で、あの阪神淡路大震災発生の12時間前でした。3日間の滞在中はGonnella先生との面談がかない無事目的が達せられ、その暖かいお人柄に接する事が出来たのは喜びでした。イングルウッドの人間ドック、トーマスジェファーソン大学医学部・病院を見学のほか、ニューヨーク市内の名所や美術館などを佐藤先生と宮崎氏に付きっきりで案内していただいた事、さらに津田先生、幡生先生はじめ野口医学研究所の多くの方々にも美味しいカニ・エビ料理店で歓迎していただいて感激した事が今も楽しく思い出されます。
実は病院中枢の有力理事の間で起った内部紛争が根底に在ったため、この病院のやまいは、すでに深く進行しており、こうした野口医学研究所の多大な力添えが効果を発揮するまで持ちこたえられるはずの体力が急速に衰え、手遅れの状態になってしまったのでした。残念な事に4ヶ月後にこの病院は別の医療法人に引き取られる形で使命を終えたのでした。折角の野口医学研究所の助力が実を結べなかったことは、ある程度レベルの良い医療の実践が出来ていただけに、返す返す残念で悔いが残る事でした。あらためてお世話くださった野口医学研究所の皆様のご好意に厚く御礼申し上げます。そしてこの事が契機になって、現在私は漢方医薬学に関係する分野で微力ながら時々お手伝いをさせていただくようになりました。
この時の経験から、あらためて感じさせられたのは、「保険医療の世界で、より質の良い医療の実践を目指すからには、従事者自身がその分現在の何倍も働く努力をし、効率を上げる様々な工夫を考え出す事なくしては目的は達成されない事」と「利益を目的としない善意のいかなる活動も経済性を伴わせないと継続できない事」でした。
野口医学研究所との関わりは前述の様に平成6年からですが、浅野嘉久氏、澤田崇志氏との出会いからはあと数年で40年が経つことになります。社会に出て勤務した製薬会社の医薬品製造現場での先輩が浅野氏で後輩が澤田氏という関係なのです。当時の付き合いが深く、お二方の当時の人間性をよく知っている私から見ると、姿形こそ月日の経過でそれなりに変っていますがその性格や仕事への取組み姿勢には昔と変りがなくエネルギッシュなことに、ある種の感慨をおぼえております。浅野氏のキャッチアップの早さと吸収力、アイデア一杯の応用力、適切な判断を伴った決断、そして粘り強さを伴ったスピードのある実行力。澤田氏は独特の素早いキャッチアップから出る評価と判断、素早い実行力。何でものろまな私の目からは驚かされることばかりで、敬意を感じていたのが20代の私でした。今、常に前向きに事業に取組んでおられる野口医学研究所の皆さんと接すると、私自身も姿勢を正して頑張らねばと何時も啓発されております。
その後私は漢方医薬学の世界に進み、お二方とは進む道が分かれてしまいした。再会するのは前述の時期で10年くらい接点のブランクがあるわけです。従って、野口医学研究所設立時のことは承知しておりません。しかし医学交流と言う意義ある事業が開始されて20年の歳月が経過し、交流の実績は医師だけでも去年の時点で300名をはるかに越えたと伺います。20年と一口に言ってもその間には順風ばかりでなく、恐らく逆風にも曝されたことでしょう。困難を乗り越えるにはさまざまな悲喜こもごものドラマも生れている事と拝察致します。この長い期間継続し立派な業績を残されている野口医学研究所関係者全ての皆様に心より敬意を表します。
人の健康こそは国の繁栄のカギを握る最大の要素の一つですが、それは一国の問題にとどまらず、人類全体の繁栄に関わる根幹の要素です。野口医学研究所の事業が今後も益々発展し、世界の医学・医療の正しい発展に寄与される事を祈ってやみません。 |