米国財団法人 野口医科学研究所

サイトマップ

お問い合わせ

HOME

 
設立趣旨 あゆみ 組織概要 臨床留学プログラム アラムナイ活動及び研修レポート セミナーのご案内 野口ニュース
 

TOP  財団設立20周年記念誌

留学体験記
 野口医学研究所20周年に寄せて
                                          マウントサイナイ病院 フェロー
                                            金城 紀与史

この度は野口医学研究所20周年おめでとうございます。
ここニューヨークでも今年はセントラルパーク150周年、去年は私のフェロウシップ研修先のマウントサイナイ病院も150周年を迎えました。今から150年前のアメリカの医療はどのような状況だったのでしょうか。150年の流れをわたしなりに辿ってみます。


19世紀半ばのニューヨークの町の状況を描いた「Gangs of New York」という映画(レオナルドデキャプリオ主演)が最近公開されました。今のChinaTownあたりにあった貧民街のギャングたちの陰惨な抗争が主題ですが、警察消防、下水、ごみ収集処理、売春の取り締まりなどあらゆる社会組織がいまだに整備されていないカオスがよく描かれています。医学もそのような社会のなか、混沌としていました。いまでこそ主流派の「Allopathic Medicine」といわれている医学は当時「Alternative Medicine」と優劣のはっきりつかない状況でした。18世紀終わりにドイツ出身のSamuel Hahnemannによって作られたHomeopathyはAndrew Carnegie、Thomas Edison、Charles Dickensなどといった著名人にも支持を受けるほど特に強力でした。理由の一つにはHomeopathyの治療がAllopathic Medicineのそれにくらべて穏健だったこともあります。Allopathic Medicineのその当時の治療法は寫血、下剤といった激しいもので、おそらく患者の益になるというよりは害になるものが多かったのです。それに医者のトレーニングもまちまちでした。医学校は当時2年で卒業でき、冬に16週間講義を受けるのみ、しかも一年目と二年目の講義は同一内容、入学卒業の審査もいいかげんでした。下等教育の整備も遅れていたのもありますが、ハーバードの医学生でも文字の読めない生徒が数多くいたのでした。このようなお粗末な教育のなか、こころある卒業生は自主的にHouse Pupilという病院泊り込みの研修を積んだり、ヨーロッパに留学しましたが、そうできるのは資金力のあるごく一部に限られました。


当時の医学の非力を示す統計として次のようなものがあります。Civil Warの死者のうち、南部側は5万が戦闘で死亡、15万人が病死、北部側は11万負傷してなくなるかたわら22万あまりが病死。食事が貧しく、服装も貧相、衛生状態も悪いなか下痢症、マラリア、はしか、腸チフス、天然痘、結核、肺炎、猩紅熱、壊血病などで次々と兵士が死んだのです。北部のSurgeon General William Alexander HammondはCalomelとTartar Emeticの使用をそのあまりの強い副作用のため禁止したほどでした。
医者の社会での地位も低いものでした。患者は何人もの医者を同時に呼び、それぞれに「みたて」「診断」「治療」をださせて、その中から患者が自分で選ぶというものでした。医者は患者の家に赴くHouse Callが主でした。先の映画「Gangs of New York」のなかでも往診する医者が登場します。
病院というところは医者を自分の家に呼べない貧しい労働者階級のためにある慈善施設でした。いまでもアメリカの病院の多くが宗教と関係のある名前を有するのはこのころのチャリティー病院の伝統です。マウントサイナイ病院もニューヨークの貧しいユダヤ人向けに作られたのでした。
このような状況のなか1847年にAMA(American Medical Association) が創立しCode Of Ethicsが採択されました。イギリスのPercivalの書いたMedical Ethicsから転用するところが多いものの、アメリカならではの部分も多くあります。なかでも排他的項目、Allopathic以外の医者へのコンサルト禁止の部分は強烈な政治的メッセージでもありました。Allopathic Medicineはその後最新の細菌学、Germ Theoryなど科学の進歩を次々に取り入れ、寫血などの危険な治療をすて、医学サイエンスの本流たる地位を築き上げます。それに対しHomeopathyはいまにいたるまで同じドグマを抱き、大きな進歩はありません。Allopathic Medicineは貪欲にAlternative Medicineからもどんどん知見をいまでも取り入れています。


医学教育でも19世紀後半から大きな動きがあります。ドイツでの実験医学のトレーニングを受けた医者たちがリーダーシップをとり、医学教育のなかに科学実験を大きくとりいれます。学期も延長し、次第に2年制から3年、4年へと伸び、1893年に創設のJohns Hopkins医学校・病院に象徴される医学部と緊密に関係をもつ大学関連病院が次々に登場し、Clinical Clerkshipが充実していきます。1910年までには旧態依然とした教育のレベルの低い医学校は経営が苦しくなり、Flexner Reportの発表で決定的な打撃をうけ壊滅します。このあとアメリカの医学教育はスタンダード化が進み、世界でおそらく一番優れた医学教育を打ち立てたのでした。
慈善施設だった病院も、医者がサイエンスを研究、実践する殿堂と化し、医者が患者へ赴くスタイルから患者が病院やクリニックへ足を運ぶようになります。病院はAllopathic Medicineの独壇場となり、州から医師免許というお墨付きももらい、医学の本流の立場が確立されます。
その後20世紀の医学の進歩は目覚しく、消毒法の確立でさまざまな手術が可能となり、抗生物質など強力な薬剤も登場します。当然医療費は高騰し、保険制度が必要になります。1930年代に医療保険Blue Crossが登場します。医者や病院への払い金は贅沢なもので、医者は裕福になり社会的立場も上がります。


1965年のMedicareの登場のころからすこし風向きが変わります。まず医療費の高騰にさらに拍車がかかり、国が老人、貧しい人の医療費を肩代わりしなければならない状況になります。感染症の克服とともに慢性疾患が大きな位置をしめ、喫煙、アルコール、運動不足、不健康な食生活といったことから引き起こされる習慣病がなかなか治らないことから、医学不能説が提唱されます。すなわち、病気になってから医療を施すより、予防するほうがよっぽど効果的でしかも安上がりである。しかも医療は副作用、医原性の害が多いという糾弾です。
このような批判に拍車をかけたのが医療の質のばらつきを示すデータでした。同じような疾患をもつ患者がかならずしも同じ内容の治療を受けていない、地域によって治療が異なる、というものです。
さらに専門分化がすすみ、コンサルタントが複数いる手数のかかった医療が当たり前となり、医師患者関係が希薄となります。医者が患者にとって”Stranger”のような事態になってきたといえるかもしれません。
70年代の公民権運動や権威主義の否定の雰囲気のなか医者の権威も批判の矢面にたち、医療倫理Bioethicsが登場します。すなわち強大な権力を握る権威主義的(Paternalistic)な医者に対抗する武器として患者の自己決定権Autonomyが強く推し進められたのです。インフォームドコンセント、情報開示Truth tellingなどはこのときから患者の権利として確立していきます。


そのあと、質の向上のためEvidence Based Medicineが花形となり、ガイドラインやクリニカルパスなどが発達、医療過誤といったいままでタブーだった事柄もInstitute Of Medicineはこれからの課題として公に取り上げるようになりました。
一方HMOの登場、国からの予算のカットなどで医療は相当の打撃を被り、医学教育もかつての形態ではうまくいかない部分が多くなっています。入院期間が短縮し、外来での研修が必要になります。また教える側も時間が少なくなり、診療、教育、研究の三本柱すべてをこなすのは至難になっています。
ミスを少なくするためにレジデントの労働時間を今年の7月から制限することになり、人手の足りない病院はさらに苦しくなります。またレジデントの間でシフト精神が生まれないかの懸念もあります。すなわち、「朝8時になったら私は家に帰る、あとは知らない」という態度です。申し送りがしっかりされるかどうかで、患者のケアの質が左右されかねません。
次々に病院の財政危機など暗いニュースが報じられる一方、医学生のコミュニケーションスキルを向上させる教育、Cultural Competencyを備える教育などが取り入れられ、さらにはAmerican College Of PhysiciansやAmerican Board Of Internal MedicineなどはProfessionalsimをいかに育むかをテーマに取り組むようになりました。医学校やレジデンシーでの医学倫理の教育も必須項目になりました。


こうして振り返ってみると、医者がアメリカ社会のなかで地位を確立して権威を獲得したものの、患者の権利、国や保険会社などからの予算カットなど医学の社会でのあり方が大きく動いているのが現在のところという感じがします。既得権の温存や利権の確保といった部分も多い医学界ですが、医療の質、患者へのケアなどの大義を掲げ、良いところを残そう、新しいものを取り入れてよくしていこうという貪欲でダイナミックなところがあると思います。医者が権威主義を振りかざさなくても患者や社会から信頼を獲得できる位置を保持できるか、今後の大きな課題でしょう。


米国の医学教育が今後も世界トップであり続けるか不透明ですが、自分が1997年から2003年のあいだに臨床研修に実際にはいり、150年前からここまでのアメリカ医療、医学の道筋をみる視点を持つことができたのは、代えがたい体験だったといえます。


この場をお借りして貴重な機会を与えていただいたことを御礼申し上げます。

 


参考文献
(1) The American Medical Ethics Revolution How the AMA's Code of Ethics has Transformed Physicians' Relationship to Patients, Professionals, and Society
Edited by Robert B Baker et al The Johns Hopkins University Press, Baltimore and London, 1999
(2) Learning to Heal The Development of American Medical Education Kenneth M Ludmerer  The Johns Hopkins University Press, Baltimore and London, 1985
(3) Beginnings Count The Technological Imperative in American Health Care David J Rothman Oxford University Press New York, 1997

(4) Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioethics Transformed Medical Decision Making David J. Rothman Aldine de Gruyter, 2003