野口医学研究所創立20周年、誠におめでとうございます。米国臨床留学の機会を幅広く提供されてこられた先見性、ならびに日本の医療を少しでもよくしようとなさる意欲には大変敬服いたしております。
私自身、2002年に派遣医師として選出され、非常に有用な経験をさせていただきました。それまでにも野口医学研究所主催セミナーには参加しており、そこでよい刺激をいただいて、学生時代には友人たちとUSMLEの勉強会を持つことがあり、米国など海外での臨床に興味を抱いていた経緯があります。百聞は一見にしかずということわざのように、いくら文献で知識をもっていても、実際に出かけて、雰囲気に触れて体得した経験には勝りません。特に、若手といわれる世代が海外で吸収した物事は周囲に計り知れない影響を及ぼします。
加えて、ただ海外で臨床留学をしただけでは自己満足にしか終わりません。私は自分の経験を日本小児科学会総会や週刊医学界新聞などを通じて広く還元しようと試みました。後輩医師のなかには同じ野口医学研究所のプログラムで米国臨床留学をされた方もいました。さらに、勤務先の病院ではローテート研修中の新人医師たちに、米国の臨床現場の雰囲気を少しでも感じてもらおうと文書、写真を使用したミニレクチャーを機会あるごとに開催しました。近年の若手医師は科を問わず、米国での臨床現場から意欲的に何でも学び取ろうという姿勢が強いです。学生時代にUSMLE step1,2とも合格している研修医も少なからずいて、情報収集に苦労した私の学生時代とは隔世の感があります。
実際に米国臨床留学をして一番感じたことは、英語の必要性です。幼少時より英語圏で暮らしたバイリンガルでなく、学校英語や受験英語を中心に学習した身としては、英語の重要性を肌で感じました。留学以前にも大学ではESS代表を務め、英語に触れる機会を多く取ろうと努めておりました。熱帯医療研究会で海外の医学生と英語で交流し、地域の医療関係者向けの英会話教室に通ったこともありました。将来、何らかの形で留学することを視野に入れて、学生時代からできる範囲の準備をしていたのです。しかし、現地の病院では、臨床現場でやり取りされる会話についていくのが精一杯で、慌しい現場で果たして自分自身をうまく表現できるかという不安を感じたのも事実です。ただし、米国にまで行くのは英語の習得が目的ではなく、臨床現場の状況を判断し、医療活動を進めるプロセスを吸収することが重要なのは自明の理です。たった1ヶ月の臨床留学ではありましたけれど、医学知識をつけることが先決で、英語はしばらく滞在して慣れることで解決できるのではないかと感じました。そのためにも、漫然と普段の臨床をこなすだけではなく、日本のおかれている立場や医療水準、さらに医学分野における日本の特色、問題点もしっかり把握しておくと役に立ちます。その上で留学するのであれば目的意識もはっきりするでしょう。
これは友人とよく議論するのですが、野口医学研究所よりいただいた米国留学のチャンスを自分が米国で一生暮らしていくためのステップとするのか、将来、日本に帰国して米国のよい側面を取り入れていくのか、しっかり検討しなければなりません。最近は米国に永住するのは困難な状況となっており、日本に帰国する選択肢が増えてくる流れにあるといえます。後輩のみなさんも、米国留学に際して帰国後の姿も視野にいれておくべきです。かつてあったような、米国で臨床経験を積んで帰国しても就職先がない、という状況は解消されつつあります。医局制度が解体され始めているのもその端緒と考えられますし、米国での臨床経験を有する医師が増加してきた要因もあると思われます。それでも、日本の医療現場を全て否定し、何かにつけて米国流を押し通そうとするのは軋轢を生じやすい。米国から日本、ないし日本から米国へ臨床感覚の切り替えを上手にするためにも、せめて卒後2年間の研修は日本で行い、日本の医療現場を肌で感じておく努力はするべきであると私は考えます。人によって留学時期は様々であり、動機も千差万別ですので、一概に私の考えを押し付けることはできません。逆に、米国の医療にまったく興味がなく、日本の地域医療に汗を流しておられる方も多いでしょう。昨今は米国の医療スタイルが日本でも主流となることが多く、いくら日本の地域医療に主眼をおいたとしても米国の医療を無視して考えるのは非現実的です。米国医療に対する興味の有無にかかわらず、医学生、研修医を臨床指導する立場にある医師は、これから米国の医療現場を知っているか知らないかで大きく差が出てくる可能性があります。
マッチング制度の導入や、医学部における新しい医学教育の潮流により、指導医への評価もフィードバックされるようになってきました。かつての医学生というと、授業はサボり部活動やサークル、バイトに精を出すと考える方々もきっと多いと思います。これからの医学生は、新しい教育によって流暢な英語を駆使し、症候から鑑別疾患を短時間で調べ上げ、evidence based medicineはお手のものであると訓練されてくるでしょう。足りないのは臨床経験だけとなれば、指導医への評価も厳しくならざるを得ません。これから医師としてキャリアを積む方だけでなく、若手を指導し、米国、ヨーロッパなどより進んだ医療を即座に理解できるベテラン医師を育成するためにも、幅広く米国研修の道は開かれるべきでしょう。そうなれば、必然的に米国でレジデントを終えた若手医師が帰国する環境も整えられてくるのではないでしょうか。日本小児科学会では、小児医学教育の専門家のための海外研修助成を開始しました。先進諸国での医学教育について見聞を広め、さらに高い識見と教育に対するビジョンを持って帰国し、小児科学教育の発展に貢献してもらおうというのが目的です。様々な機会を上手に利用して、日本の研修医、指導医が一人でも多く海外研修の場を得るよう祈念してやみません。
私は学生時代、医学教育振興財団より英国、サウザンプトン大学医学部にて臨床実習の機会をいただきました。当時から、ヨーロッパでは英語を共通語として、様々な国の医学生、看護学生をelective studentsとして海外派遣してきた歴史があります。米国の医学生は、米国に居ながら世界の優秀な人材が集まる環境にあります。日本ではどうでしょう。Electiveの機会を利用して日本で病院実習しようにも、海外からの医学生に日本の大学医学部の門戸は狭いのが実情です。受け入れるスタッフや環境が不十分であったり、そもそも交換留学を認めていなかったりといった具合です。日本の医学生が様々な他流試合を経験する意味でも、海外の医師、医学生が日本で経験を積む流れを作り出していくべきです。
私は現在、亀田総合病院を退職し、大学院生として東京大学医科学研究所先端医療研究センター感染症分野にて研究生活を送っています。学生時代から国際医療に興味を持ち、感染症、なかでもHIVを切り口に今後のライフワークを構築しようとしています。ただ、小児科を中心とした医学教育には興味を持ちつづけており、岐阜大学医学部医学教育センターが主催するインターネット・テュトーリアル教育に参加しておりました。主に小児科、感染症分野でテューターとして学生の医学教育に関わりを持ちました。この教育プログラムについてあまり御存知ない方もいらっしゃるかもしれません。これは、文部科学省の全国共同利用施設として2001年4月1日に設立された組織です。従来の一方通行的な講義スタイルを変革し、少人数の問題解決型、あるいは自己学習型の医学教育を行うのが趣旨であります。米国においてもハーバード大学から医学教育変革の動きが始まったように、日本でも東京女子医大や岐阜大学などが医学教育改革の先鞭をとっているのは広く知られています。
日常生活では細胞の培養やPCRなどの手技の習得や研鑚に忙しく過ごしております。小児科医として過ごしてきた経験を維持する意味でも、研究の合間に当直や外来業務にはつかせていただいております。以前に勤務していた病院では、1次から3次救急までを扱い、夜間は病棟、NICUともにカバーしなければならない状況でした。当直は月5,6回こなしており、それに比べると研究生活は業務の質が変化して私自身が戸惑っている、というのが正直な感想です。日本のよい制度なのか悪い制度なのかは知りませんけれど、臨床をしてから研究をする環境は十分に整えられています。また、所属する医局によっては、若いうちに研究も経験するべきだと指導されることもあります。私は国際医療に興味を抱き、所属する医局の長である教授が、国際医療に従事するには研究もするほうがよい、と考えていらっしゃったことが幸いでした。野口医学研究所では、もちろん臨床留学に主眼がおかれておりますので、私のように途中で研究に方向転換するのはあまり望ましい姿ではない、と考えることもできます。
これまでに出版されてきた米国留学についての体験談や指南書の類をひもといてみますと、研究のために留学したのが臨床留学に鞍替えをしたケースもありました。臨床留学を目指して渡米したもののマッチングが不本意な結果に終わり、医師以外の医療従事者として米国医療の現場を垣間見た医師もいました。望ましいのは学生時代に情報を集め、USMLE step 1,2を取得し、日本での2年の研修の後、マッチングに望むスタイルでしょう。しかし、いろいろな話を読んだり聞いたりするにつけ、留学によい時期を探すのは十人十色といわざるを得ないです。
私が野口医学研究所の選考を受験した際に、試験官である医師がCVについてコメントを下さいました。素晴らしいCVには一貫性があり、これをしてこれをしてこうした。その結果、私は米国留学を希望する。ところが、読み手にとって一貫性がないCVやpersonal statementが多く、なぜ米国留学をしたいのかがわからない。これは、そもそも医学部受験が学力偏重な日本と、学力と同じくコネや動機を重んじる米国の医学部受験との根本的な相違もあるでしょう。私たちも米国に留学したいと考える前に、自分自身の考えと、それまでの行動とが一致しているかどうかもう一度じっくり考えてみなければなりません。これは、それ以前に志望する科を決める際にも重要です。私が6年生のころ、志望する科を決める際には、所属していた部活動やサークルのつながりで勧誘をうけることがありました。私が学生時代に米国ネブラスカ州で医療制度の見学をしたこと、医学教育振興財団から英国での臨床実習に派遣されたこと、フィリピンのWHOにフェローシップとして選ばれ視察したこと、熱帯医療研究会でタイの医学生とexchange programで交流したことなどは、まったく入局に際して考慮されませんでした。自分の出身大学だけでなく、この現象は当時の地方大学医学部に共通してみられていたようです。学生の実績は考慮されず、所属クラブや個人的なつながりで入局の勧誘をする悪しき慣習が、現在あるマッチング制度への方向転換を促した要因に思えてなりません。マッチング制度が開始され他流試合が増えれば、ぬるま湯的な体質から脱却して、自分自身の技術やキャリアを磨かざるを得ないです。所属していたクラブ活動で活躍した実績よりも、医学に直接結びついた活動を行った学生が優位になっていくと想像されます。全人的医療、ACLSワークショップ、医学生国際会議、ホスピス、地域医療のセツルメントなど、いわゆるまじめな医学生がまじめに活動してきた結果が業務ににじみ出るような、そんな行動を医学生は取る方向に変化しつつあります。
私は3年生まで、先輩に言われるままに医者は体力勝負とばかり、ラグビー部、柔道部に所属し、頭の中まで筋肉だと友人から揶揄されるほど学業は怠けておりました。部活動の仲間は留年をし、私もあやうく留年しかけてから、医師になるために医学部に入学したのだという初心を思い出しました。医学は医者になってから勉強するから、それまでは社会勉強をしろ、という論理もある意味正しいし、運動部で体育会系よろしく成果を求める集団も好きでやるのなら個人の自由です。ただ、医学の厳しい学業に影響を及ぼすほど医学以外の活動にかまけるのは論外です。医学部では医学の勉強をして、片手間に好きなことをする。こんな簡単なことなのに、意外に体育会系運動部と自分のやりたい勉強との間で悩んでいる医学生は多いのです。私の知る限り、なぜか医学部には体育会系運動部が多く、勧誘も激しく、「部活動に所属しないと試験に落ちる」とか、「部活動で人間関係を築かないと医師になってから困る」など、時として脅しともとれるうたい文句で新入生を洗脳することがありました。
ここで再び、米国研修を目指す医学生の後輩にお願いです。米国研修を目指されるほどの意思があればもうよく承知されているかもしれませんが、学生のうちは医学に主眼を置いてください。なるべく講義はサボらず、課外活動も医学の視野を広げるものを厳選し、できれば海外の医学生と英語で交流する機会をもってください。言語の習得には若ければ若いほど効率がよいのは誰もが知っている事実です。英語に関してだけは、手間ひまかけて、汗をかいて、恥をかいて学生のうちに身に付けてください。英語がダメだと思ったら、所属する体育会系運動部は退部し、教科書は英語にし、積極的に若いうちに自分自身を英語の環境にさらすような努力がいります。
加えて、視野を国内の他の医学部に向けることも重要です。ここ数年の医学教育に対する取り組みは極めて多様になっていますし、学生のうちからどこの大学ではどのような医学教育をしている、ということを知っておいてもよいのではないでしょうか。私は熱帯医療研究会に所属し、全国に同じ興味を持った友人が多くおりましたので頻繁に情報交換をしておりました。電子メールやインターネットの普及により、ますます大学間の交流は活発になっているだろうと予想します。自分自身の大学のことしか知らないのに、米国留学をしてもその成果は限られてしまいます。卒業後、早期に留学を考えている方は、医学生のうちに様々なワークショップや集まりの機会を利用して交友を広げるべきです。USMLE対策のメーリングリストなどに所属して同じ目標を持ったもの同士で情報交換するのが理想的でしょう。私がここで改めて申し上げるまでもなく、医療系ホームページを立ち上げるなどして実践されている人もいることでしょう。
在学中に意識的に視野を広げることにより、医師となってからも患者との良好なコミュニケーションが期待できます。また、研修医は多忙でありなかなか視野、世界を広げる機会に乏しく、そのような意味からも可能であれば他大学医学部と学生のうちに交流できるとよいです。医学部以外の課外活動、ボランティアに参加するというアイデアもよいでしょう。以前に外務省が協賛していた日米学生会議、あるいは日韓学生フォーラムなど、主に文科系の大学生が参加する国際交流プログラムに参加して視野をひろげている医学生もいます。
つまるところ、米国など海外で臨床を経験しようとすると、その地域の文化、風習に親しむ必要がでてきます。来院する患者が、みな流暢な英語を話すとも限りません。医療従事者でさえも、スペイン語なまりの英語で意思疎通をしている場面によく遭遇します。おなじ英語圏でも、英国の場合には比較的均質な英語が話されているものの、北部のスコットランドやアイルランドの英語となると聞き取ることすら困難で、会話にならないこともあります。これらは私だけではなく、誰しもが海外留学した場面でよく遭遇するといえます。留学前に留学する地域をよく知り、住む人々や食習慣、話されている言語についてできるかぎり習熟しておくことが望ましく、それができるのは学生時代であります。長期休暇を利用して体育会系運動部で汗を流すのもよいですが、米国など興味ある国へ、できれば単身旅行やパック旅行でなく、団体で交流するプログラムに挑戦されてみてはいかがでしょう。野口医学研究所でも、もちろん医学生に留学の機会を与えております。ただ、それは高学年であって、低学年のうちは語学留学よりも一歩進んだ交流プログラムに参加されることをお薦めいたします。
そうすれば、どこの大学で医学を学んだか、という狭い視点から、日本の医学教育システムや保険制度、もっと詳しくそれらの利点、問題点や外国との比較など、医学を日本から世界に広げて考える視野を手に入れることだって可能です。そこまでできなくても、学生のうちから視野を広げて考える習慣をつけておけば、医師となって多忙を極めてからも常にアンテナをひろげられ、数少ないチャンスを確実に自分自身でものにできるでしょう。
ただ医学の勉強ばかりをしていると、えてして米国の医療のみに固執し、米国と日本との机上での比較に終
始してしまう危険性があります。米国の医療が世界でスタンダードと考えられているのは、米国の研究機関が世界各国からデータを集め、人材を集めているという事実を知らなければなりません。日本にいると米国ばかりに向けられるベクトルも、米国からは全世界に向けられているのです。それに、実際に米国留学をして、困ったときに助けてくれるのは留学生です。海外からやってきて同じ苦労を味わい、共通の悩みを相談できるのも世界各国の留学生です。日本から米国にいって、留学生との交流を円滑にするためにも、韓国、中国、ヨーロッパを始めとした地域の人々との輪を重んじる必要があります。学生のうちに、現地の若者と交流しておけば、友情も育まれやすいと私は考えています。
医学の勉強、海外での交流、その前提となる英語の習得と、医学生にはやることが多い。これに体育会系運動部や学資のためのアルバイト、その他の娯楽を全て学生時代に網羅し、経験するのは無理があります。米国留学を目指すと意思を固めたのなら、自分がするべき事柄にはどうしても優先順位をつけなければなりません。周囲に流されることなく初志貫徹するためにも、医学生としての自覚を持って学生生活を送るべきです。学生のうちは基礎か臨床か、またどの分野が自分にあっているか、悩み考える時期です。どうでもよいことで悩んで肝心な将来が見えなくなることのないよう、長いようで短い6年間を有意義に過ごしてください。
取りとめもなく書いてしまいましたが、以上で、野口医学研究所から派遣していただいた臨床留学体験、その実際や、私自身の仕事、後輩たちに贈る言葉を締めくくらせていただきます。また、留学体験にかかわる詳細や、ここに書いた海外交流プログラム全般について、様々な形でレポートが発表されています。インターネットでもそれらを閲覧することができますので、興味のある方はご連絡ください。私の拙文をご紹介することもできます。
謝辞
野口医学研究所名誉会長 尾島昭次先生より、米国臨床留学選考会で医学教育について示唆に富むアドバイスをいただきました。また、現地では佐藤隆美先生に関係部署との調整をしていただいたほか、ラボの見学をさせていただいたり、昼食やパーティーにお誘いいただいたりしました。津田武先生にはトーマス・ジェファーソン大学ICNで新生児に対する実践的な知識を伝授していただいき、フィラデルフィアの野口オフィスで診察の見学もさせていただきました。さらに、亀田総合病院主任外科部長兼内視鏡下手術センター長加納宣康先生にはプログラム参加の御推薦をいただきました。帰国後も亀田総合病院に小児科医として戻られたのも、加納先生や研究所顧問 亀田信介先生などの御尽力のおかげと考えております。その他、野口医学研究所の関係部署の皆様、派遣に際しての手続き本当にありがとうございました。
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